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アレキサンダー大王の東方遠征の結果、オリエントはギリシア人の支配下に入りました。大王の死後エジプトは部下の1人であったプトレマイオスが王として支配するようになりました。これがプトレマイオス朝エジプトです。つまりこの王朝はエジプト人ではなく、ギリシア人が支配する国だったのです。公用語はギリシア語でした。もちろん従来のヒエログリフも使われています。

キリストの生まれた紀元0年前後、地中海はローマ帝国の支配下に入り、エジプトもローマと闘う事になります。当時エジプトのファラオ(王)であったクレオパトラは、国を守るためエジプト遠征に赴いたカエサルを女の魅力で虜にします。クレオパトラの魅力に骨抜きにされたカエサルはエジプトを責めるのをやめてしまいました。そうしてエジプトはローマ帝国の属国になる事を免れたのです。クレオパトラとカエサルとの間には子どもまで誕生します。その子こそ後にプトレマイオス朝最後のファラオとなるカエサリオンです。

しかし、エジプトの安泰は長きません。頼りにしていたカエサルが暗殺されてしまったからです。カエサルの死後、カエサルの後継者として有力だったのがカエサルの養子であった若きオクタビアヌスと、武将アントニウスです。この2人が覇権を争うことになります。クレオパトラは若くて有能なオクタビアヌスに色香で迫ったのですが、若いオクタビアヌスはなびきませんでした。そこでクレオパトラはアントニウスに標的を変えます。アントニウスはすっかりクレオパトラの虜となり、エジプト+アントニウス連合軍対オクタビアヌスの率いるローマ軍との戦いが起こりました。(BC31年アクティウムの海戦)その結果オクタビアヌスが勝利します。クレオパトラは失意の中毒蛇に自らを噛ませて自殺します。その後プトレマイオス朝エジプトは滅ぼされ、ローマの支配下に入ります。そしてプトレマイオス朝の最後の王となったのは、クレオパトラとカエサルの子どもであったカエサリオンだったのです。ローマによって捕らえら、まだ17歳だったカエサリオンは処刑されてしまうのです。下の写真はクレオパトラ(7世)です。Wikipediaより

17世紀、フランスの数学者であり哲学者のパスカルが、著書「パンセ」の中で、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっただろう」と言う言葉を残していますが、果たしてどうだったのでしょう?

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