石山本願寺でした。織田信長に対抗する勢力として有力だった浄土真宗(一向宗とも呼ばれていた)の総本山は石山本願寺と呼ばれ、今の大阪城の場所にありました。戦略上非常に重要な場所にあったため、信長は石山本願寺との戦いに非常に苦しみ、なかなか打ち負かすことが出来なかったと言います。その後石山合戦という戦いで講和が成立し、浄土真宗の僧たちは石山本願寺を出て行ったのです。その後秀吉がここを本拠として、大阪城が築城されました。
秀吉が拠点にした大阪城ですが、大坂夏の陣、冬の陣で灰燼に帰してしまいました。その後江戸幕府によって再建されます。現在の大阪城は1936年に市民の寄付によって再建された物で、再建されてから90年が経過しています。