2024年度のNHKの大河ドラマは紫式部が主人公でした。源氏物語の作者としても名高い彼女は当時としては珍しく教養のある女性でしたが、残っている文章を見る限り、勝ち気で気位の高い女性であった様です。紫部日記に残された和泉式部(恋多き女性として有名)と清少納言(枕草子の作者として有名)に対する紫式部の評価を今回は載せてみたいと思います。彼女の性格が感じられます。
和泉式部への評価
いずみしきぶといふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉の、にほひも見え侍はべるめり。歌は、いとをかしきこと。ものおぼえ、歌のことわり、まことの歌よみざまにこそ侍らざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまるよみ添へ侍り。それだに、人の詠みたらむ歌難じことわりゐたらむは、いでやさまで心は得じ、口にいと歌も詠まるるなめりとぞ、見えたるすぢには侍るかし。恥づかしげの歌詠みやとはおぼえ侍らず。
清少納言への評価
清少納言こそしたり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行く末うたてのみ侍れば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにも侍るべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。
【現代語訳】-------------------------------
和泉式部という人は、私と趣深く手紙をやり取りした人です。しかし、和泉式部には感心しない面があるのです。気軽に手紙を走り書きした時に、その方面の才能のある人で、ちょっとした言葉の、つやのある美しさも見えるようです。歌は、たいそう興味深いものです。和歌についての知識や、歌の理論、本物の歌人というふうではないようですが、口にまかせて詠んだ歌などに、必ず趣深い一点で、目にとまるものが詠み添えてあります。それほどの歌人であるのに、他の人が詠んだ歌を非難したり批評したりしているようなのは、いやもうそれほどまで(和歌を)心得てはおらず、口をついて実に自然と歌が詠まれるようだと、思われる作風でございます。こちらが恥ずかしくなるほどのすばらしい歌人だなとは思われません。
清少納言は、得意顔でとても偉そうにしておりました人です。あれほど利口ぶって、漢字を書き散らしております程度も、よく見ると、まだたいそう足りないことが多いのです。このように、人より特別優れていようと思いたがる人は、必ず見劣りし、将来は悪くなるだけでございますので、風流ぶるようになってしまった人は、ひどくもの寂しくてつまらない時も、しみじみと感動しているようにふるまい、趣のあることも見過ごさないうちに、自然とそうあってはならない誠実でない態度にもなるのでしょう。その誠実でなくなってしまった人の最期は、どうしてよいことでありましょうか。(いや、よくないでしょう。)