中大兄皇子と中臣鎌足が中心となって進めた「大化の改新」に関する記述として正しいものはどれか。
1 公地公民制を廃止した
2 班田収授法を制定した
3 壬申の乱の後に開始された
4 律令国家体制を否定した
5 旧習を断ち切るため遷都を断行した
解答:2
解説 大化の改新(645年)は、豪族中心の政治を改め、天皇中心の中央集権国家を目指した改革。大化の改新は中大兄皇子と中臣鎌足(後の藤原鎌足)の一連の政治改革を示し、蘇我氏を殺害した事件そのものは乙巳の変と呼ばれるようになっている。
3の班田収授法の制定(戸籍・計帳を整備し、6年ごとに口分田を与える)はその中心政策。公地公民制は「導入」した側。壬申の乱(672年)は大化の改新より後。「壬申の乱」は672年に天智天皇の死後、その子・大友皇子と弟・大海人皇子(のちの天武天皇)が皇位継承をめぐって争い、大海人皇子が勝利して律令国家体制と天皇権力強化の契機となった叔父と甥の間に起きた内乱で、日本の争乱史のなかで唯一、反乱を起こした側が勝利し、朝廷の正当な政権側が敗れた事件。
4は律令国家を目指す改革なので誤り。遷都は行っていない。5に関しては遷都は行われていない。