遣隋使や遣唐使によって、中国の優れた文化や芸術が日本に取り入れられました。特に隋や唐に習って律令制度が整えられたことは歴史的に非常に意味があったことは疑いようもありません。しかし、実は遣隋使や遣唐使として派遣された学生達が中国から持ち帰ってしまった疫病(天然痘だと言われています)によって当時の日本は壊滅的な被害を受けることになってしまったのです。諸説有るのですが、この疫病によって当時の日本人の3分の1が命を落としてしまったのです。特に奈良の朝廷を動かしていた藤原氏の重臣達がことごとく命を落としてしまったため、朝廷は大混乱に陥りました。天然痘はそれまで日本で発生した事が無く、多くの人が免疫を持っていなかったため、このように多くの人が亡くなってしまったと言われています。
この頃、地方での反乱や飢饉、疫病の蔓延によって社会不安や政治が混乱していました。この混乱を仏の力で鎮めるために聖武天皇が東大寺に大仏殿を作らせ、各国に国分寺、国分尼寺を建立させたのです。しかし、このことによって莫大な国費が使われ、日本の財政が崩壊寸前にまでなってしまったのは皮肉な結果です。聖武天皇が崩御した後に不満を持つ一派により橘奈良麻呂の乱が起こってしまい、更に混乱が続く結果をもたらしてしまったのです。
今日は8月29日の早朝です。台風10号が猛威を振るっています。皆様くれぐれも不要の外出などを控えてください。皆様が無事である事を願っています。