ヒエログリフ(神聖文字)は解読されなかっただろうし、仏教は日本にまで伝わるすることがなかったかもしれません。
ギリシャの片田舎の国であったマケドニア王国を率いてギリシアを統一し、その後オリエント一帯を支配したのがアレキサンダー大王(アレキサンドロス3世)です。暗殺された父の後を弱冠20歳で継いだ若き王は、全ギリシアを統一し、BC334年に東方遠征を開始しました。
大王の軍勢は、瞬く間にペルシア、シリアを滅ぼし、エジプトを征服。インド付近までその領域を増やしました。しかし、33歳の誕生日の前日、突然具合が悪くなり亡くなります。(部下から毒殺されたという説が有力です)
その後有力な部下たちが後継者争い(ディアドコイ戦争)をして、王国はマケドニア、シリア、エジプトの3国に分裂します。エジプトを支配したのは以前にお話ししたプトレマイオス将軍で、彼によってプトレマイオス朝エジプトが開かれました。ギリシア人によって支配されたので、この王朝はギリシア語が公用語でした。(もちろん以前から使われているエジプトの言葉や文字ヒエログリフも公用語として使い続けられました)
約300年続いたプトレマイオス朝はローマ帝国によって滅ぼされ、その後ヒエログリフは使われなくなり、歴史から姿を消してしまいます。考古学が発展した18世紀になっても依然として解読できず、ヒエログリフは謎の言葉のままでした。
そのような時に英国に対する牽制のためエジプトを攻めたのがナポレオンでした。ナポレオンは考古学者を帯同していおり、考古学上重要な遺物を集めさせたのです。その時にロゼッタストーンが偶然発見されました。のちにこの石碑はプトレマイオス5世の勅令であることが分かったのですが、注目すべきは、この石碑にはギリシャ語と民衆文字デモティックと神聖文字ヒエログリフが同一内容で書かれていたということでした。プトレマイオス朝がギリシャ語を公用語として採用してた故にこのような文書が残されたわけです。
そして、この石碑を元にして今まで謎だったヒエログリフがフランス人シャンポリオンによって解読されます。つまりアレクサンダー大王がいなかったら、プトレマイオス朝は生まれなかったし、ロゼッタストーンも作られる事はなかったわけです。そうすると今でもエジプト神聖文字であるヒエログリフ解読されないままだったでしょう。
仏教について言及すると、アレクサンダー大王がインドの近くまで遠征をしたときに、多くのギリシャ人たちがかの地に移住しました。セレウコス朝シリアという国が生まれたのですが、その後現在のイラクあたりにパルティア王国が誕生し、シリアは国土が分断されてしまいます。東側にはバクトリア王国と言うギリシア人の国が新たに誕生します。この国の文化が当時のインド(クシャナ朝) に流入します。特にギリシャの彫像文化が流れ込み、当時盛んに信じられていた仏教と結びつき、多くの仏像が作られました。これがガンダーラ美術です。
この仏像の誕生が、仏教を広く東方へ伝えるエネルギーになりました。仏様と言うのは素晴らしいのだと、あるいは尊い存在だと口で説明されてもわかりにくかったのですが、仏像と言う具体的な判りやすい尊敬対象が生まれたことにより、仏と言う存在を信者が信じやすく、感じやすくなったわけです。そして仏教はインドからシルクロードを伝わり中国を経由して日本にまでやってきました。つまり、アレクサンダー大王がいなかったら、仏教もおそらく日本には伝わってなかったと思われます。もし彼がいなかったら、日本人は今どんな宗教を信じていたのでしょうか。