源頼朝が開いた鎌倉幕府の血筋は3代で絶えて、それ以降はお飾りの将軍が都から招かれ、実権は北条氏が握っていました。その中でも代々執権を出す一族は得宗家と呼ばれていました。最も権力の高い役職は執権、No2は連署と呼ばれていました。(連署という役名は幕府が発布する公文書に執権とともに署名する重職を務めたことが由来となっていたようです)
鎌倉幕府はその後足利尊氏と後醍醐天皇によって1333年に滅ぼされ、滅亡します。その後後醍醐天皇による建武の新政が始まりますが。すぐに足利尊氏と後醍醐天皇の間に亀裂が入り、いわゆる南北朝の時代に突入します。
戦国時代に小田原城を本拠とし、北条早雲を祖とする北条氏がいましたが、鎌倉幕府の北条氏と縁もゆかりも無かったようです。
北条氏の家紋