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    30年戦争は当初、新教(プロテスタント)と旧教(カトリック)の宗教対立が中心でしたが、フランスが新教側で参戦した背景には、宗教を超えた政治的な戦略がありました。

    フランスはカトリック国家でありながら、当時のヨーロッパで覇権を握っていたハプスブルク家(神聖ローマ帝国とスペインを支配)の勢力拡大を阻止することを最優先としていました。30年戦争を利用してハプスブルク家の影響力を削ぐことを狙ったのです。

     このため、フランスは宗教的な立場を一時的に脇に置き、新教側のスウェーデンやプロテスタント諸侯を支援しました。1635年には直接的に参戦し、戦争の後半では新教勢力を支える重要な役割を果たしました。

     このように、フランスの参戦は宗教戦争という枠を超え、ヨーロッパの覇権争いという政治的な要素が色濃く反映されたものでした。この状況が変わったのがオーストリア継承戦争でした。女性であるマリアテレジアが神聖ローマ帝国を支配することに対する不満からヨーロッパ中を巻き込んだオーストリア継承戦争が起こります。当然フランスはオーストリアと敵対するプロイセン側に付きヨーロッパを二分する戦いになります。このとき活躍したのがオーストリア軍に多大な被害を与えたプロシアと、主にフランスと戦った英国でした。新興国プロシアにコテンパンにされたオーストリア(神聖ローマ帝国のハプスブルグ家)は、自分の敵はフランスではなくプロイセンなのではと思うようになり、フランスブルボン家も、自分の敵はオーストリアではなく英国であると認識するようになった戦いだったのです。